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2016年3月3日木曜日

translation / TAKE YOUR TIME: A CONVERSATION 3/9


翻訳の Part3です

Robert Irwin, "Untitled",1970, Moma
The image is borrowed from ArtSlant

美術館はどうあるべき?コレクションを集めて、見たことないような展示をすることか
それとも討論の場として機能するのがいいのか。

Robert Irwin氏がこれまでに美術館の限界を試した2回の経験を話されています。
1つ目は上の写真のもの。突然空きスペースがあるから何か好きに使っていいよって言われてつくったそうです。
70年代。。そして、美術館にあることでこれは作品なんだって思うけど、本当に空っぽ。。

その話から、Olafur Elliasonは空間の状態を経験することは、内省的な視点の質(the introspective quality of seeing)に気付くことだと言っています。
この文章を読んでいて、言葉の正しさとか丁寧な分析にハッとします。


アーティストのOlafur EliassonRobert Irwin2人の対話。
2007年にあったOlafur Eliassonの個展の図録に収録されていたものです。




TAKE YOUR TIME: A CONVERSATION
(2007)



Olafur Eliasson and Robert Irwin






RI: 私が最終的にしたのは とてもシンプルなことでした。 無存在に近いくらいシンプルだった。 部屋の一つの特徴は 細長い穴からの自然光や空間の長さといった奥行きのあること でした。 そこには、5本の類似した蛍光の光を取り入れるラインが細長いくぼみの中にあって、古い型の2インチ(約5cm)の厚さの卵を入れる箱のようなぼこぼこした表面が赤く輝いている光のフィルターがあった。 まずはじめに、長年溜まっていた天窓の汚れを綺麗にした。 そして 全ての蛍光色の線をまったく変えたから、天窓は暖かくなったり冷たくなったりして、卵入れのようなフィルターは光を 少し暗くて、暖かくて、冷たい虹をほんのすこしだけ部屋の隅々に行き渡らせた。 そして、部分的に半透明な綿布を天井につけて部屋と空間の中のはかない光の調和を作ったんだ。 姿のないステンレス スチールの線を足したのは視線を空間に誘うためと、 そして見たところ仕掛けもないところで、不思議な色と光の感覚を観た人が感じるためなんだ。

              今 気にかけていることは、 このことについてMoMAは知ることも発表することや書くことはなかった。 そしてまだ最後があって、彼らはこれをラベルを貼ることで常設化すると主張してる。 そうなれば、もちろん君はこれを自動的なほどにすぐ"芸術"だと認めて、同様にこの空間は鑑賞者のためにつくられたという立場を手にいれることになる。
この空間の立場はこうだ:これは存在してる?これは完成なのか?私はどうこれを感じ取ったらいい?これは芸術なの?
だから私は子供を毎日ラベルを取り除くために雇ったんだ。 短い間でこのシリーズはジェニー・リッチJenny Lichtがただできるだけ長く続く小さいインスタレーションのシリーズの結果になった。 でも最終的に"現代"は年内に”現代”にならなかったけれどね。

               のちのちの1977年、私はウィットニー美術館でレトロスペクティブをしないかとマルシア・ツッカーMarcia Tuckerに聞かれたんだ。 それを実現しなかった代わりに、私は提案をする機会を得た。 もしこんな質問をしたとする。 「もし認識が芸術の純粋な主題だとしたら、私たちは芸術に対する文脈をつくることと同等のことだとしていいだろうか?」 答えは ノーです。 短くいうならば、この提案をいろいろな角度からみるためにわたしはあるシリーズの作品を作った。 美術館の外側の観察のシリーズだ。実際に溶かされた美術館の壁は文脈、そしてつくることは不可欠だと仮定された。 しかし最終的にその組織は簡単にそこに決して存在していないように演じたんだ。 象徴的にいうならば、彼らでさえ彼ら自分のすべてを知らない。知っていると思うけれど、これはベールみたいなものなんだ。 私が君に何かを伝える、そしてまた違うことを伝える。 私がそうすればするほど、君はどんどん見ることができなくなる。


OE: ただベールの比喩だけ問題がある。それは芸術というものがベールに覆われているところに置かれているように聞こえるからです。 私が思うに、状態の経験(the case of conditional experience)をすることの特別な点は、視点の内省な質(the introspective quality of seeing)だと思います。 時々私はそう呼んでいます。 つまり、あなたはなんであれあなたが見つめている(look at)ものを見て(see)いるし、だけどそれはものをみる(see)方法でもあるということだ。経験していることのなかに喜びや怖れを見つけられるが、しかし経験していることはもの自体の一部としてまとめられているのです。

*looking at 1.・・・をみる 2.・・・を考察する、調べる、検査する
see ・・・が見える、目に入る

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